ぼっちヅカファンゆっこの遠征記録

中部地方に住む宝塚ファンの観劇日誌です。

東宝エリザベートを見たら宝塚版の謎が解けた(ような気がした)話。

こんにちは(*´ω`)

 

先日、中日劇場にて、東宝版のエリザベートを観劇してきました。こんな短い期間に2回もエリザベートが見られるなんてうれしいかぎりです(^^♪

 

で、私、東宝版と宝塚版は、両方とも演出が小池修一郎先生なので、それほど大して違いはないんじゃないかなと観劇前は思っていたのです。ですが、実際にみてみたら2幕以降が結構異なっていて、宝塚版エリザを見た時のもやもやが少し晴れたような気がしたので、今回はそれについて書かせていただきたいと思います。

 

ちなみに、私は、エリザベートは、宝塚版は2014花組(映像)と2016宙組しか見たことがなく、東宝版は今回が初めてでした。なので、的外れなことを書いていたとしても、”初心者が馬鹿なことを書いてやがる”と受け流してくださるとうれしいです。観劇を重ねたり、ほかの役者さんの演技を見る中でまた違った感想を持つことになると思いますが、とりあえず今の感想ということでかきます。

 

 

〇もやもや1

まず、私は初めて宝塚エリザをみたとき「どうしてルキーニがエリザベートを殺したのか」が理解できなかったのです。

 

宝塚版では、ルキーニって途中まで話には絡まないで、俯瞰した立ち位置にいますよね。「ミルク」や「キッチュ」等の場面では、ルキーニがエリザベートを好いていないことがわかりますけれども、ルキーニ自身に余裕が感じられません?「ミルク」はエリザベートに怒っているというよりも、市民の人たちが怒っているのがおもしろがってのっかって歌っているようにみえますし、「キッチュ」では「国を作ってあげるなんてエリザベートは偉い」と皮肉を言う余裕があるわけです。

 

なのに、「最後の審判」の場面でトート閣下からナイフをもらうことでルキーニは急に話に食い込んできて、なんとエリザベートを暗殺してしまうのです!それまでの流れからは、ルキーニがエリザベートを殺すまでに憎んでいるようにも見えなかったので、初めて見た時私は、暗殺の動機がよくみえませんでした。(ちなみにその後ネットで調べて解決しました)

 

一方、東方版ルキーニは、「ミルク」の場面で怒りの感情が強く感じられました。「ルキーニめちゃ切れてるΣ(・ω・ノ)ノ!」みたいな。また宝塚版では、トート閣下がこの場面の中心ですが、東宝版ではトート閣下は出演しておらず、ルキーニが民衆を引っ張って歌います。また、「ミルク」以外の場面でも、エリザベートに対して結構きついことを言っているように感じました。これらの場面が、最後の審判エリザベート暗殺までの流れの伏線になっているので、観客にとって理解がしやすくなりますね。また、暗殺後にも、ルキーニが暗殺動機を言ってくれるので、「なぜルキーニがエリザベートを暗殺したのか」ということが理解できます。

 

ですが、ルキーニ自体のキャラクターとしては、宝塚版のほうが私は好みです(笑)飄々としたキャラクターが魅力的ですよね。

 

で、なぜこのような違いが出てきたのかということなのですが、やはり、物語において何を重視するかが違うために、このような演出の違いが出てきたのだろうと思いました。

 

東宝版では、題名通り、”エリザベート”のお話のなんです。なので、エリザベートの生きていた時代の背景の説明が宝塚版よりも丁寧です。一方、宝塚版は、タイトルこそ”エリザベート”ですけど、やっぱり主人公はトート閣下で、”エリザベートとトート閣下の恋愛”の話のように感じました。なので、本来(ウィーン版を拝見したことはないので予想なのですが)よりも、トート閣下の役の比重を大きくしなければならないので、「ミルク」の場面にもトート閣下がお出ましすることになり、結果としてこのようになったのではないかなと思います。ですが、宝塚は、最後の昇天の場面などがすばらしいですし、フィナーレもあるので、話に理解できないところがあっても満足してしまうわけです。(けなしてません。今までの記事からもわかるように私宝塚大好きですよ!)

 

 

〇もやもや2

そして、初めて宝塚版をみたときに、疑問に思ったことがほかにもありまして、それは「ルドルフの死~エリザベートの死までの心境の変化がよくわからない」ということです。

 

ルドルフが死んでしまったとき、悲しみのあまりエリザベートはトート閣下に「私を殺して!」といいますが、トート閣下に拒絶されてしまいます。トート閣下はプライドの高い方なので、消極法的に死を選ばれるのは納得がいかないわけです。ですが、エリザベートがルキーニに暗殺されたとき、エリザベートは死を愛し、トート閣下にも今度は受け入れられ死んでしまいます。私は初めて見たときからこの心境の変化が理解できませんでした。「ルドルフがなくなってからの数年で徐々に死を受け入れて(愛して)いたのかなぁ」とぼんやり考えていました。

 

ですが、今回の東宝エリザを見て少し納得できたような気がしました。

 

東宝では、やはり”エリザベート”のお話だからか、トート閣下からエリザベートへの恋愛要素が、宝塚版にくらべて薄いように感じました。東宝トート閣下は、それこそ”愛と死の輪舞”をうたいはしますけれども、恋をしているというよりは、”ちょっと気になる程度”なのかなと思えてしまったからです。(役者さんごめんなさい(;´・ω・))

例えば、

①「闇が広がる」の場面でルドルフを革命へとあおるのも、革命の結果ルドルフが死んでエリザベートが死を望むようにさせるためというよりは、死人が増えるよう仕向けることが死神の仕事だからしているように見えました。(少なくとも私には)

 

②「扉を開けて」で、トート閣下はエリザベートに拒否られてしまいますが、宝塚版だと傷つくトート閣下のシーンがあるのに対して、東宝では場面が暗転して、実際トート閣下がどのように感じたのかはわかりません。(ちなみに、東宝版では、クローゼットがないのにどこからトート閣下が出てくるのだろう?と勝手に不安に思っていました笑。椅子の後ろから出てきたのでびっくりしました)

 

東宝版では「死ねばいい!」の場面やそれに続く「♪ごまかすなよ、お前はあいつを愛しちゃいない~~♪」の曲もカットされていますよね。

 

といった場面の違いによって、トート閣下➡エリザベートの恋愛度合いが異なってきたのかなぁと思いました。

 

 

あと、東宝版では最後の場面で、ルキーニが首をつって死んでしまいますよね。後味が悪くて印象的でした。。お芝居の最初では、ルキーニは皇后殺しの裁判にかけられていて、それを否認していました。ですが、結局死んでしまったということは、「エリザベートを殺したのはルキーニです(裁判に負けて死刑になった)」というメッセージなのではないかなと思いました。

 

なので、先ほどの疑問に戻るのですが、エリザベートがいつ死ぬのかが決まるのはエリザベートがトート閣下を愛したかどうかで決まったのではなく、ルキーニのような外部要因によって決まったのだろう、という夢のないことを私は観劇していて思いました。宝塚版では”2人の愛”によってエリザベートが死んだということが強調されていますが、東宝版ではそういったことがあまり強調されていないので、こういう印象を持ったのかなと思います。

 

ですが、エリザベートが人生の様々な苦難を通じて、死への思いが強くなっていった(トート閣下を愛していった)という面もあると思います。んー、難しいです(^^;

 

 

珍しく、長々と感想を書いてしまったのですがあまり自信がありません(-_-;)エリザベートは好きなミュージカルなので、機会があればこれからも見たいですし、きっと観劇を重ねたら感想も変わって、もっとまともな考察を書けるようになると思いますが、一応、初心者の時に感じた違いについてまとめてみました。見当違いのことを書いて不快になった方がいらっしゃったら申し訳ありません。

 

次記事でも、引き続き感想を書かせていただきます!